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ヒロニカの日記

兼業トラックメイカーのブログ

現実的な判断はなぜ冷たく見えるのか

役所でも何かの契約でもいいですが、あなたがその担当者と対面で手続きをしているとします。ところが説明しても相手は要領を得ず、全然手続きが進まない。誰しも経験があることかと思います。

(※話を簡単にするため、自分の説明の仕方には問題がないものとします)

 

そこで人がすることは大体以下のように分かれるのではないでしょうか。

  1. 分かるまで何度も説明・説得する
  2. 諦めて自分のリクエストを妥協する
  3. 怒る
  4. 分かる担当者に変わってもらう

一番早く解決しそうで現実的なのは「4」ですが、どうも冷たい、人間味に欠ける感じがします。それはなぜか。「話せばわかる」という可能性を無視しているからです。

あらゆる物事がシステム化された現代社会では、現実的な判断というのは往々にして「人ではなくシステムに働きかける」ものになり、このように人間の心がない風になってしまうんです。

 

さて、この話には続きがあります。

上の「4」の選択肢を長らく全社会で取ってきたアメリカという国があり、彼らのコミュニケーションはとても洗練されています。つまり、自分も反省し、相手も傷つけず、前向きな言葉で「分かる担当者に変わってもらう」のです。

伝え方が悪くてごめんなさい。このリクエストは例外的な対応が必要になると思うので、エスカレーション(*要するに上司と代わってもらうこと)をお願いしてもいいですか?

サポートしてくれてありがとう,

どうでしょう。すごく丁寧でいい人そうで相手も尊重しており、それでいて問題解決の最短ルートを辿っています。

 

なので、ロジカルで冷たそうな人は、言い方を丁寧にしたり、相手を尊重する能力がまだ足りないんだなと考えることができます。

でも結局、どこまで前向きにしたところで、現実的な判断は根本的に人間味がないんですよね・・・。